今年の夏は雨続きで家で過ごす時間が多いように感じます。家にいますとパソコンを開けて、
ついでにインターネットというのが習慣になり、もともとパソコンは好きでなかったのです
が、これも時代の流れかなと思います。そんなとき、『ネット・バカ』(著ニコラス・G・カ
ー)という本の題名が目について読んでいますと、「ネットという大量の記憶媒体があること
で、脳は記憶する行為を怠っているが、人間の脳内で長期記憶が作られるプロセスはコンピュ
ータ-のような人工脳とは全く異なる。人工脳が情報を吸収した場合、ただちにメモリーに保
存されて変化しないのに対し、人間の脳での記憶は、常に更新されており、それにより古い記
憶が現在の脳で意味をもつ。記憶を思い出すときの脳は記憶した時の脳ではない。」という内
容に、漢方の人体に対する考え方に近いものを感じました。よく耳にする陰陽五行は漢方の考
え方の基となるものですが、ここには、生命が生命であるためには自身の内部同士、そして外
部と常に相互作用し続けなければならないので、一見すると少し前の自分と同じようであって
も同じではない、という意味が含まれていると思います。変化をしない機械での記憶と、変化
し続ける脳での記憶の違いと同じように、漢方の考え方は、生命と生命でないものの違いを説
明しているように感じます。
また本には「脳はコンピューターと同じく形式的な数学的ルールによって作動していると見な
されているが、これは理解できる事柄を使って理解できない現象を説明しようとするもであ
る。」という内容がありましたが、漢方が体のしくみを説明する際、自然体系を基にしている
のはまさにこのためではないかと思います。つまり、体のしくみは複雑で相互関係も入り組ん
でいるため、人間のつくりだしたどのような機械であっても完全に把握することは難しく、計
り知れないものがあります。そのため”目には目を”で、同じく複雑な生命を物差しに推し量ろ
うとしているのが漢方だと思います。漢方はあいまいな学問であるとよく言われます。確かに
体の細部を目で見たり、機械で数値化したりということがないため、客観的に把握できるもの
ではないからです。しかし、すべてが視覚的に数値的に捉えられるほど人体は単純なものとは
思いません。動物によって景色の見え方は違うと聞いたことがありますが、人間が把握しきれ
る範囲で作った機械や科学技術からの人体への視点と、計り知れない命あるものからの視点と
は異なるものだと思います。
この本を読んでいますと、人間が機械に頼れば頼るほど人間の脳がもつ無限の可能性や深みが
機械のしくみに置き換えられていく怖さを感じます。人の心や行動は楽な方へと移りやすいも
のです。ますます機械化が進む今こそ、それに逆行する考え方をもつ漢方は、いい面で歯止め
をかける役割も担っているのかもしれません。
8月27日「漢方の役割」
/
